赤穂といえば塩と義士。
赤穂では弥生時代に塩の生産が始まったそうです。
江戸時代には、赤穂流の入浜塩田が開発されました。
その製法は香川の丸亀など、瀬戸内海沿岸の都市に拡がりました。
赤穂の塩田の歴史がわかる「赤穂市歴史博物館」
その塩を利用した「塩味まんじゅう」がまた格別です。
さて、義士といえば、ご存知「赤穂浪士」。
江戸城中で事件が起こりました。
赤穂藩主浅野長矩(あさのながのり)が吉良義央(きらよしなか)に切りかかりました。
長矩は即日切腹を命じられましたが、義央にはお咎めなし。
数日後、大石良雄(おおいしよしお)が長矩切腹の報を受けました。
大石良雄の通称が内蔵助(くらのすけ)です。
良雄は葛藤の末に敵討ちを決意します。
長矩が切腹した翌年の同日、12月14日の深夜(日付変わり15日)、討ち入りを決行。
47人の浪士(正確には46人)は江戸の吉良邸へ討ち入りし、義央の首を取ります。
そして、その首を長矩の墓前に捧げた後、自首したのです。
一方で、浪士たちは命を賭けて主君への義を通しました。
他方で、浪士たちは無用の騒乱を起こしました。
二つの価値観で揺れ動いた江戸幕府ですが、結局、全員に切腹を言い渡します。
翌年3月20日、浪士全員が切腹し、事件は幕を閉じます。
やがてこの史実は義勇伝として人々の間に広まり、語り継がれてきたのです。
大石神社前にある大石良雄の像
以上のような赤穂浪士の物語を、実はこれまでよく知りませんでした。
今回の訪問は実にいい勉強になりました。
ところで、ひそかに楽しみにしていた「赤穂の塩ラーメン」を食べそこねました。
それだけが心残りです・・・。
赤穂市HP
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