2013年12月31日火曜日

聖都サン・ドニ

今回訪れたサン・ドニ県はパリ市の北隣です。

日本人には治安が悪いということで有名らしいです。

実は私はサン・ドニに1か月間住んだことがあります。

夜も出歩いていましたが、特に襲われるようなことはありませんでした…

もちろん、フランスでは用心するにこしたことはありません。

賑わう商店街。正面にはサン・ドニ教会。

サン・ドニはかつては工業地帯として発展しました。

低所得の労働者たちの街だったのです。

しかし、近年になりスタッド・ド・フランスや多くの公園が建設されました。

スタッド・ド・フランスではサッカーやラグビーの代表チームの試合が行われます。

また、地域一帯で持続可能な都市開発が進んでいます。

こうして、現在では人口が増加し、住みやすい街に変わりつつあります。

商店の間をトラムが通る。感じのよい町並みが続く。

さて、この地にはサン・ドニ大聖堂があります。

フランスのほとんどの国王がこの大聖堂を墓所としてきました。

ルイ16世と王妃マリー・アントワネットもここに眠っているそうです。

サン・ドニ大聖堂。修築中のようです。

250年頃に亡くなった司教ディオニュシウスの礼拝所が元となっています。

1136年頃にゴシック様式の大聖堂建設が始まりました。

1966年に司教座が置かれ、カテドラルとなりました(それ以前は「バシリカ」です)。

祭壇とステンドグラス

祭壇の奥は国王の墓所で、入場料が必要です(7ユーロ)。

再びサン・ドニを訪れることがあれば、そのときに墓所も見学したいです。

この先有料…


* * * * *

2013年度は温かいご支援を賜り、ありがとうございました。

新しい年が始まると、フランスでの活動もますます大変になります。

2014年度もどうぞよろしくお願いいたします。

皆さまよいお年を。

2013年12月30日月曜日

夢の国から来たねずみ

同僚と昼食を食べていると、エピソードを一つ紹介してくれました。

その同僚はディズニーランド・パリが見える場所に住んでいます。

1992年4月12日にディズニーランドが開園しました。

その晩、開園を祝う花火が打ち上がりました。

窓を開けてその花火を見ていたとき、まだ幼い娘さんが言ったそうです。

「お母さん、窓を閉めて!窓からねずみがたくさん入ってくるよ!!」


今さら言うまでもありませんが、ディズニーランド・パリはパリ市内にありません。

正確にはセーヌ・エ・マルヌ県マルヌ・ラ・ヴァレにあります。

パリ中心部からRERのA線で約40分です。

改めて言うまでもありませんが、セーヌ・エ・マルヌ経済振興公社はそこから近いです。

A線の隣の駅で、電車で5分です。


そしてディズニーランド・パリからこんなものが届きました。

夢の国への招待状

年間パスポートです。

最低でも1回は行きたいな。

2013年12月27日金曜日

王都サンジェルマン・アン・レー2

すでにお城の中に入りましたので、今度は外観を眺めてみましょう。

やっとお城に着いた、教会でセーブしよう…

こちらはシャトー・ヴィユー(旧城)。

この中に国立考古学博物館が入っています。

14世紀に城が建設されましたが、100年戦争でほとんどが焼失しました。

16世紀にチャペルを建て増しするなどして現在の姿になりました。

もう一つ、シャトー・ヌフ(新城)があります。

こちらは建物の一部しか残っていません。

現在はホテルとレストランとして利用されています。

王城正面の庭園。夏であれば青と緑が一面に広がっているはず。

見事に整備された庭園は気持ちのいい散歩道。

その端まで歩みを進めればパリ平野を一望できます。

庭園からパリ平野を臨む。中央やや左にデファンス地区のビル群が見える。

ではそろそろ城を離れて街に繰り出しましょうか。

これもお城ですか?

いえ、郵便局です。

これは昔の駅ですか?

いえ、銀行です。

これは教会ですか?

はい、教会です。

お城のチャペルですでにセーブしましたが、この教会にも入ってみましょう。

祭壇

サンジェルマン教会は修道院の跡地に建てられています。

この建物は1827年に聖別されました。

「フランスが生きるために戦士たちは死んだ。願わくは彼らが神の御所で平穏を享受せんことを!」

戦争で亡くなった人々の名を刻む石碑が多くの教会で見られます。

その前を通ろうとするものなら、数分間足を止めずにはいられません。


余談その1。

サンジェルマン・アン・レーはサッカー1部リーグの強豪パリ・サンジェルマンの前身の本拠地です。

1970年にスタッド・サンジェルマンとパリFCが合併してパリ・サンジェルマンになりました。

なので、PSGはパリのサンジェルマン通りとは関係ありません。

ところで、どなたかPSGのTシャツをお土産に欲しい人いますか?


余談その2。

観光案内所周辺にはなぜかチョコレート店が密集しています。

有名なこんなお店とか。

Patrick Roger。そういえばパリのサンジェルマン通りにも店舗がありますね。

どのお店も装飾が素敵です。

de Neuville

度重なる誘惑についに負けてしまいました。

チョコレートを購入して帰宅です。

Yvin。他にもたくさんのショコラティエが…




2013年12月26日木曜日

王都サンジェルマン・アン・レー

12月26日(木)、サンジェルマン・アン・レー(Sanit-German-en-Laye)。

少しくらいクリスマス休暇を取りなさいと言われたので、1日休みをもらいました。

サンジェルマン・アン・レーはRER・A1線の終着駅です。

駅改札から地上に出るとすぐにサンジェルマン城が見える


ルイ6世に始まり、シャルル5世やルイ13世、ナポレオン1世などがこの地で暮らしました。

特に太陽王ルイ14世は1638年にこの地で生まれました。

宮廷を転々としながらも、1666年から1681年まで滞在しました。

ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移り住むまで、この都市は王政の中心地でした。

ヨーロッパの街並み。古い路地も至る所に残されている。

初めて訪れる街では、観光案内所で情報を収集するのは基本です。

というわけで、案内所へ。

感じのよいスタッフが迎えてくれました。

この街に来る日本人もたいへん多いとのこと。

日本語のガイドも置いていました。

日本語ガイドがあるかどうかは、日本人観光客が多いかを測る目安の一つです。

サンジェルマン・アン・レー観光案内所

最大の観光名所はサンジェルマン城

並びにその中にある国立考古学博物館

博物館の入館料は7€

先史時代から中世までの歴史的資料が数多く展示されていました。

個人的に興味を惹かれたのは、石器時代の人骨と紀元前の貨幣。

人類の歴史は祈りの歴史、死者を埋葬する人々の想いを慮らずにいられません。

また、以前、古代の貨幣論に関する論文を翻訳しました。

貨幣を巡る様々な歴史にずいぶんと驚くと共に、経済を見る視点がより豊かになりました。

サンジェルマン城中庭(シャトー・ヴィユー)

…また続きがありそうな展開ですね…

カニ鍋

メリークリスマス!

クリスマスなので、カニ鍋をしました。

カニさん、ありがとう。

今年も残りわずかですね。

私は31日までお仕事ですが。

ご招待ありがとうございました。

2013年12月23日月曜日

12月下旬のパリ

土曜日は在宅ワークでした。

デスクワークもワークアウトもこなしますよ。

頑張ったので、日曜日はパリにお出かけしましょう。


特設スケート会場

歴史的建造物パリ市庁舎の前でスケートをするのは気持ちいいでしょうね。

なんと入場無料。

スケート靴のレンタル料は5€

ここ以外にも、シャンゼリゼ、トロカデロ、グラン・パレに会場が設営されているそうです。

グラン・パレだけは入場料大人12€必要です。

電飾クリスマスツリー

ノートルダム大聖堂の前にクリスマスツリーが。

2007年にはこんなのあったかな?

カルティエ・ラタンもクリスマス

いつも思うのですが、どうしてこの界隈にはチーズフォンドゥのレストランが多いのでしょうか?

ノートルダム・クリスマス市

3€のヴァン・ショー(ホットワイン)で身も心も温まります。

クリスマスの時期、街を歩くと様々なものを発見できますね。

さしあたり、土日にこうして心置きなく休みをとれるのは年末年始だけです。

なので、貴重な休日を有効に活用しています。

2013年12月22日日曜日

パリの空中散歩道

事務所内を整理していたら前任者が残した様々な書籍が見つかりました。

その書籍の中で、パリのガイドブックを発見しました。

パラパラとめくっていると、「空中散歩道」なるものが。

よし、行こっか。


というわけで、パリ12区ドメニル(Daumesil)へ。

植物散歩道「ヴィアドゥック・デ・ザール(Viaduc des arts)」という名称です。

また、「プロムナード・プランテ」という通称もあります。

パリの観光地のことはネット上に情報がたくさんありますが、以下覚書です。

1853年から1969年まで、バスティーユとヴァンセンヌを結ぶメトロがありました。

廃止された線路をパリ市が買い取り、遊歩道として整備しました。

その際、そこにたくさんの植物を植えました。

こうして線路は新たな観光地となり、現在に至ります。

このような遊歩道を通ります

総延長は4.5km。

1時間強のお散歩です。

それでは歩いてみましょう。

バスティーユに向かいます。

トンネルも通ります

トンネル内を警察官3名がサイクリングしていました。

あやうく轢かれそうになりました。

住宅の間も通ります

どういう経緯でこのような建築になったのでしょうか。

アーチの中は通れません

住宅の屋根が近いですね。

ちょっと一息

昔のメトロの名残がちらほらと。

竹藪も通ります

「京都嵯峨野に吹く風は~♪」

猫も通ります


結構高い屋根です、頑張りましたね。

バスティーユ側の入り口

補足ですが、高架の下には様々なアトリエ、カフェ、ブティックが入っているそうです。

今回は全く探索しませんでした。

それから、もう一つ重要なことを書かねばなりません。

冬なので花が全く咲いていませんでした。

なんでこんな季節に来たのでしょうか。

というわけで、パリに太陽が戻ってきたらまた散歩しに来ます。

2013年12月21日土曜日

三男坊クロミエ2

小さな町ですがその歴史は古いようです。

古代ローマ時代にはガリア人がその地に居を構えていたそうです。

11、12世紀にはシャンパーニュ伯が居住していました。

1429年8月7日にはジャンヌ・ダルクがランスへ向かう途中に立ち寄りました。

古代、中世のこのような記録が残っています。

さて、1870年にはプロイセンの軍隊によって一度占領されてしまいます。

しかし19世紀末からクロミエの近代化が始まります。

学校や劇場、教会などが次々に建てられました。

サン・ドゥニ教会

観光案内所に行くと、劇の鑑賞をずいぶんと勧められました。

フランス人が英語で説明し、日本人がフランス語で応答するという奇妙な空間でした。

外国人に英語で観光案内ができなければ案内所のスタッフは務まらないということでしょうか。

フランス共和国の外国語事情もずいぶんと変わりました。

話を戻しますが、クロミエには1904年に建てられた立派な劇場があります。

スペクタクルを中心とした文化の町として観光誘致をしているようです。

監獄を改修した市立図書館

この町の名産といえば、何といってもチーズです。

一般にブリーチーズと呼ばれるものには3つの産地があります。

ブリー・ドゥ・モーは以前のブログで紹介した通りです。

ブリー・ドゥ・ムランは、「日本文化教師の街ムラン」の特産品です。

そしてブリー・ドゥ・クロミエがあります。

誰が名付けたのか、これらは「ブリー三兄弟」と呼ばれるそうです(ほんとかなぁ?)

そしてブリー・ドゥ・クロミエはその三男坊なのです。

ようやくタイトルの意味がわかりましたね。

よかったです。

水路が流れる町並みはもはや定番

2013年12月20日金曜日

三男坊クロミエ

セーヌ・エ・マルヌ県クロミエ(Coulomiers)を訪れました。

そして高校で日本文化についてお話してきました。

高校の風景

クロミエのジュル・フェリー高校には日本語のクラスがあります。

田舎の高校で日本語のクラスがあるのは極めて珍しいことだそうです。

また、この高校は日本との人物交流も盛んです。

3年生のクラスには日本に短期留学したという生徒が3人もいました。

それから、1年の期間で留学しているという日本人高校生に会いました。

帰国してからの大学受験勉強がたいへんそうです。

だけど、高校生のときに1年間フランスで暮らせるのは貴重な経験ですね。

高校の風景2

さて、1、2年生のクラスでは「日本の高校」についてお話ししました。

3年生のクラスでは「日本の神話と英雄」についてお話ししました。

内容は想像にお任せします。

それにしても、フランスの高校生は日本のマンガのヒーローを本当によく知っています。

高校の風景3。どれもなんだか殺風景ですね。

このようにして5時間講演し、学食で昼食を食べた後は、クロミエの町へ向かいました。

駅まで徒歩20分。

だって駅まで行かないと帰れないし・・・

プラス・ドゥ・マルシェ

せっかくなので、クロミエの町についても書かないといけませんね。

というわけで、またもや続編があります。

2013年12月16日月曜日

モーのクリスマス・グルメ市2

モーでは土曜日に比較的規模の大きなマルシェが出ます。

こちらも少しのぞいてみましょう。

賑わうマルシェ

通常のマルシェのように野菜や服飾品などが売られています。

もちろん、モー特産品のチーズも売られています。

屋内スペースも確保されています。

屋内には多数のインテリア用品

こうして2時間ほどモーを満喫したわけです。

そして午後には呼び出しを受けてヴァンセンヌの森の中へ。

ちなみに、ヴァンセンヌの森には通算で100回以上来ています。

冬のヴァンセンヌはちょっぴり切ない。

夕方はパリ市内へ。

まず訪れたのはインスタント・チョコレート・フォンドゥのお店オ・ザニスティエール

サンジェルマン通りにあり、最寄り駅はメトロ10番線モベール・ミュチュアリテ

陶器に入れたチョコレート・フォンドゥを初めて考案したことを売りにしています。

調理法は、陶器のまま電子レンジで1分です。

陶器のおかげで45分間はチョコレートが固まりません。

12.8€で一つ購入。

チョコレート・フォンドゥ・クリスマス

それにしても、適当なフランス語で試食の感想を述べたらやはり意味が通じませんでした。

その何とも言えない悲しさの余韻を引きずりながら次の目的地へ。

ボン・マルシェのクリスマス

ボン・マルシェでお買い物。

購入したのはこちら。

左から、アバティーユ、シャテルドン、ワットヴィレール

水です。

そして購入したのはこれだけです。

「水のシャンパン」と呼ばれるシャテルドンはご存知の方も多いと思います。

他の2つもフランスでは有名な水なのです。

近所のスーパーでは売っていないのです。


さて、一日の最後に訪れたのはパリ国際大学都市。

日本館でクリスマスパーティーがあるということでお邪魔してきました。

大盛況

コミテ(館内のイベントを担当する組織)の活躍により、たくさんの人が来て楽しんでいました。

個人的にも、オペラのダンサーの方々と話すことができたのは印象的でした。

また、以前シテに住んでいたときの友人であるソプラノ歌手の方にも偶然会えました。

で、最後はカラオケ大会。

選曲で世代がわかりますね。

いつものごとく深夜1時に帰宅して、1日が終わりました。


・・・おっと、忘れるところでした。

次期日仏交流コーディネーターの募集が始まりましたね。

ブログでも宣伝しろという指令ですので、言及しておきます。

仕事内容やフランスでの生活など、質問がございましたらお気軽にお尋ねくださいませ。

なお、こちらのサイトで詳細をご覧いただけます。

http://www.hyogo-ip.or.jp/assistance/cooperation/exchange03/

え?こちらのサイトからこのブログにやって来たって?

そんなあなたが素敵です。


2013年12月15日日曜日

モーのクリスマス・グルメ市

12月14日(土)、モー(Meaux)。

モーはセーヌ・エ・マルヌ県の北部にある群庁所在地です。

長い歴史を誇るカテドラルが有名です。

モーのカテドラル建設が始まったのは1175年。シャルトルやランスに先立ちます。

また、マルヌ川が流れる風景は美しく、ヨーロッパの地方都市に典型的な街並みを散策できます。

マルヌ川。左手に街のシンボルのカテドラルが見える。

さて、今回モーを訪れたのは、クリスマスの時期に開催されるイベントをのぞくためでした。

その名も「スペシャル・グルメ市」(Spéciale Foire Gourmande)。

セーヌ・エ・マルヌ県内の食品はもちろん、フランス各地からブース出展者がやってきます。

会場内の様子

私の目当てはブリー・ドゥ・モーと呼ばれるチーズです。

牛のミルクから作られ、やわらかく、それほど強いクセはありません。

日本人にも食べやすいチーズです。

1980年にAOC(原産地統制呼称、食料品に与えられる認証です)を獲得しました。

ブリーの名称は広大なブリー台地に由来します。

ブリー・ドゥ・ムランやブリー・ドゥ・クロミエといったチーズもあります。

ブリー・ドゥ・モー

モーのもう一つの名産はマスタードです。

マスタードといえばディジョンが有名ですが、こちらのマスタードもぜひご賞味ください。

と言いながら私は買いませんでしたが・・・

かわいい小瓶に入ったマスタード

会場はカテドラルのすぐ隣です。

地図なしにモーの街に繰り出しましたが、比較的簡単に見つかりました。

ランドマークは大聖堂

すでに長々と書いていますが、これは一日の始まりにすぎませんでした。

なので後編があります・・・


スペシャル・グルメ市(フランス語、モー市のサイトより)
http://www.ville-meaux.fr/-Foire-d-Automne-de-Meaux-.html